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負けて気づいて新たな挑戦へ

負けて気づいて新たな挑戦へ

誰にも相談せずエントリーしたアームレスリング大会は、アームレスラーは出場できず腕に自信のある人なら誰でも出場できる大会でした。
柔道選手vs剣道選手、スポーツインストラクターvsテニスコーチ、建築業vs看護師など、一般応募の出場選手による大会ならではの異種格闘技戦も魅力の一つとなっていた。
大会は右手のみで実施され、様々なカテゴリで開催され階級は主にライト級、ミドル級、ヘビー級、無差別級、女子に分けられていた。

全国で予選を通過し3位以内に入った人だけが東京の本選大会に出場できた。

誰にも負けないと思っていたけれども、初めて出た大会の大阪予選で生まれて初めて女性に負けた。しかもあっけなく。。。

悔しくて本選までに自己流で練習を始めた。

絶対優勝する!と思って頑張ったものの全国大会の結果はベスト8に終わった。

それから約3年の間、アームレスリングイベントに毎年出場し、最終的に全国3位までになる事ができた。

そのままアームレスリングを続けて行きたいと思ったけど道場も遠いし、21時から練習が始まるため子育て中の私にはなかなかアームレスリングを続けていくのは難しかった。

アームレスリングで負けて凄く悔しくそのまま終わるのは納得がいかなかったが、やはり生まれて初めて負けた対戦相手に対しリスペクトも感じたし、その強さは何をしたら付くのか興味がわいた。

彼女はブラジリアン柔術の黒帯で日本のトップ選手だった。

ブラジリアン柔術がどんな競技かも知らなかったので、ネットで検索すると家の近くに総合格闘技道場でブラジリアン柔術をやってる事が分かり、すぐに見学に行くと、とても楽しそうだったし、何より強くなりたいと思い即入会した。

昔の自分では考えられない行動力だった。

家から道場が近かった事と父親が柔道をやっていたこともあってとても応援してくれた。

子供達には寂しい思いをさせないように趣味をやりたいと思っていたので
子供達が保育園に行っている昼間に道場に通った。

筋トレ等は一切せず柔術だけをしていたが、体はドンドン筋肉質になりパワーがみるみるうちについた。

柔術を習い始めて数年ぶりに
「今ならアームレスリングでそこそこいけるんじゃないかな?」
って気持ちになり試合を探してみると、アームレスラーばかりが出場する関西の大きな大会が開催される事が分かり出場することにした。

アームレスラーvs柔術家

どこまで通用するのか?!

という自分のチャレンジとして出場したが結果は4位に終わった。

負けた感覚は今でも覚えている。
力が全くあたらず一瞬何が起こったのか分からないけどいつの間にか負けて終わっていた。

絶対にこの人に勝つには柔術の片手間で勝てる相手ではない。
アームレスリングの奥深さに気付かされ感動していた時に
今の師匠である宮本真治さんに声をかけていただいた。

「今のままでは力の強いお母さんで終わるけど、アームレスリングチャンピオンと言う肩書きを持った人生を歩んでみませんか?真剣に目指すなら指導しますよ!」と。

私はずっと何の称号も結果も無いのに根拠のない自信だけを持っていて人を認めることができなかった。
そんな自分がカッコ悪いと思っていた時だったので全日本チャンピオンと言う肩書きが心に響き私が欲しかったものはコレだ!と思い、アームレスリングを真剣に取り組もうと決意した。

と言っても師匠は岡山なので中々すぐには 行けなかったけど2012年の全日本に出ると照準を決め家族に了承を得て1年間毎月1回、岡山に練習に行き、握り方からトレーニング方法、アームレスリングの全ての知識を一から教わることになった。

つづく

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