『サンフランシスコ』
ウインドサーファー尾川潤の第6回目のコラム
『サンフランシスコ』
それは、2011年夏。僕が初めてウインドサーフィンの世界選手権に出場するために海外遠征に向かった先で、一番思い出深い場所です。
今回のコラムではこれまでウインドサーフィンの大会で遠征に行った12か国の中から、アメリカのサンフランシスコについて振り返ってみたいと思います。
サンフランシスコは日本から飛行機で約10時間のところに位置するアメリカ・カリフォルニア州北部にあり、太平洋とサンフランシスコ湾に囲まれた半島の先端にある丘の街です。
ウインドサーフィンのレースは、あの真っ赤な橋で有名なゴールデンゲートブリッジの袂で開催されました。サンフランシスコ湾には、その昔刑務所として使用されていたアルカトラズ島があり、そこからの脱走を試みた者が、泳いで海を渡ろうとしたものの潮の流れに流されてしまい脱獄に失敗したという逸話が残っているほどで、レース海面は海流の流れが速く、ゴールデンゲートブリッジの真下で帆を落として止まってしまった時に数秒で橋をくぐり抜けて太平洋の方へ流れされて怖い思いをしたのを覚えています。
「コーチやマネージャーが帯同して遠征のアテンドをしてくれるのか」と、よく質問されることがあるのですが、この海外遠征も含めほとんどの遠征では、航空券や宿泊先、移動手段などはすべて自分で手配しなければいけません。その上、レースに向けての調整もしていかなければいけないので、実は選手として以外にもやるべき仕事がたくさんあるのです。
初めての遠征では、ウインドサーフィンの技術的なことももちろん学ぶことがありましたが、海外生活についても多くのことを学ぶことになりました。4人のチームメイトで宿舎をシェアしましたが、僕の手配ミスにより2つのベッドしかなく、仲良く添い寝すること約1週間。レンタカーを借りて初めて海外の道路を恐る恐る運転したり、自分たちで道具を飛行機で運び、レース会場へ輸送したり、閉会式のときに正装が必要だという噂を聞いて急遽街中のアパレルショップでシャツと長ズボンを購入したのに結局みんなパーカーとジーパンだったというオチがあったり、そんなドタバタな初海外遠征でありました。
こうして普段経験することのできないことを、ウインドサーフィンの大会を通して学ぶことができ、僕の今の生活の糧はここ「サンフランシスコ」に由来していると言っても過言ではないでしょう。