『大学生のオリンピック』
ウインドサーファー尾川潤の第7回目のコラム
『大学生のオリンピック』
前回に続いて、海外遠征コラムの第二弾は、中国南東部に位置する本土と香港を結ぶ近代都市、深センへ遠征したときのお話です。
2011年に第26回ユニバーシアード競技大会という年齢制限のある大学生だけで競われる世界大会の日本代表として出場しました。この大会は、オリンピック、アジア大会に次ぐ、国の威信をかけてメダルを取りに行くガチンコ三大大会の一つです。そのため、事前に体力テストや健康診断、ドーピング講習などを受けたり、遠征前日には都内の某ホテルにて全選手団による結団式が行われたり、国からユニフォームが支給され生まれて初めて制服で飛行機に搭乗したり、日本代表として日の丸を背負った重圧のかかった遠征となりました。
現地に着くとそこには選手村といわれる世界各国からの選手たちが宿泊も食事もジムもプールもある施設が用意されていて、1週間ほどの競技期間中はそこだけで大体のことが済ませられるようになっていました。
朝晩の食事については、食堂で何種類もの各国の料理の中から選んで食べられるビュッフェ式で、ペットボトルの飲み物も棚から取り放題、マクドナルドも食堂に入っていて食べ放題となっていました。毎回ご飯を食べたあとにこっそりビックマックを食べていたことは、当時のコーチには内緒で(笑)
さて、この大会で一番苦労したのが、日本選手団として、セーリング競技選手団として、チームとしての成績を第一に考えて行動しなければいけなかったことです。普段の大会では自分の成績を出すためだけに自由に自分のペースを大事にしていましたが、チームで団体行動するときにはそれがうまく調整できずに、思うようなレースができなくてチームメイトと喧嘩してしまう場面もありました。また、大会の開会式では、海外選手と仲良くなったので記念にその場でユニフォームを脱いで交換したのが、あとでコーチにこっぴどく怒られて、レース前からメンタルがボロボロだった思い出しかありません。
改めてこの日本という国は、集団行動を重んじる、法治国家であり、猿のように群れになって行動していないと、出る杭は打たれてしまい、目立たないように生きていかなければいかない国家なのだな、と感じさせられた大会となりました。結果的には、セーリング競技のチームとして銅メダルを獲得できたので、日本国としてもハッピーだったでしょうけれど、僕にとってもこの銅メダルには色んな想いが詰め込まれた人生で一番大事なものとして部屋に飾られています。